A miracle in an ordinary life.

ヨガを生きる。

瞑想という一拍の余白時間を散りばめて

2024年、早くも1ヶ月が経とうとしています。

 

早いね〜。早いよね。

今年は元日から様々なことがありました。最近やっと落ち着きを取り戻しつつあります。でも今春には人生初の一大イベントがありまして(個人的なことなのでここでは控えますが)そちらの準備にずっと意識が向いております。何段階もの書類の締め切りがあって、書類の準備をしながらも同時にイベント自体への準備も進めなければならず。しかしよくよく考えれば、私自身のイベントではないのですが。なぜ私が主導でしかもこんなに疲れているのか?!という気づきを今得ました。

私自身のことではないのに、私自身のことのように、私が張り切っているのは「私が」それをやりたかったから、なんですよね、、こ、これは…。自分の人生を生きていない、に他ならないのでは、と思ったりしてw

さて、そんな意識となった今、これから先はどうなっていくのでしょうか?!笑

 

と、こんな風にこの1ヶ月を振り返り。

落ち着く時間もあればそうではない時もあって、それはまばらなのですが、寝起きのほんの10分ほどの瞑想をした日は、その日1日が忙しくても心には余裕がある。

今読んでいる本は、かつての一瞥の感覚を思い出させてくれ、そして今実践していることについての知識を与えてくれる本でもあり、読み出してからまたなかなか調子がいい感じでもある。

 

でも、

自分にとっての大切なことからぶれているのか、または、忘れてしまっていないか。

→実はブレブレ、すっかり忘れていた。

欲しい答えがあったのだけれど、そこを意識することを上記のような日常に埋もれさせて忘れてしまっていた!!!

という気づき。

 

今している私個人のことと言えば、ずっと続けている翻訳作業とアウトプット。

→こちら、いい感じに力が抜けてき始め楽しくできている。

今、欲しいものは、ある楽器、それからある機械、これからの自分に絶対に必要なものなのかは、今の時点ではわからないけれど(当たり前)それで遊びたい感覚。

なんかメモってしまった。

 

今朝は肚に聴く。

これからのことを。

目標を。

私という人は、何がしたいのか、を。

それらはすぐにはわからないものだけれど、

問いは投げれば必ず返ってくる。

でも

それらは、生活の中に余白がないと、なかなかわからないものです。

一拍の呼吸を味わうことを大切にしよう。