A miracle in an ordinary life.

ヨガを生きる。

自分を枠に嵌め込んで観えること

どこにいるのか、何を見ているのか、何をしているのか、は、実はそんなに大事なことではなくて(→本質ではない)その行為行動をしている時に、どんな意識でいるのかをただ冷静に見つめてながら息をしていくこと(生きること)が大切。

自分で自分を捉えて離さない思い込みが、自分の考えと行動を狭めている。

 

私の場合は、ほんの些細なことがきっかけでその状態に気がいた。

(いつも、こんな些細なことが気づきをもたらせてくれる)

昨年私は、ヨガと出会った場所であり、かけがえのない人たちと出会った場所であり、慣れ親しんだ場所から新しい土地へと生活の拠点を移した。

 

しかし、居を移してからこの1年ほど、心身の調子がすぐれない日々が多かった。

転居を決めたのは私のはずなのに、心のどこかで、こうなったのは家族のせい、そして自分が不甲斐ないせいだ、と責めている自分がいた。

環境の変化に伴って変化する自分やその全てををまるまると受け入れることが難しかった。

そんな意識のまま生活していれば、目の前の家族がどんな状態であるか、何を欲しているか、そういうことは見えてこないのは当然なこと。

でも、そのすれ違いの中でも喧嘩をしながら意思の疎通を図ってきたお陰で、私の伝えたいことが伝わるし、家族の伝えたいことが伝わってくる。

だからどちらにせよOKなんだけれどねw

でも、その視点を持ち続けて生活するのは結構難しくもある。

生活の中の全ての行動には無意識がダダ漏れるし、そして家族でああれば尚更、自分の無意識の投影がガッツリだから、、、

そのマイストーリー、もしくは自分劇場に入り込んで、幻想の中でマリオネットを演じているだけの瞬間を続けてしまう、そんな寸法ですねー!

そんな世界にはまり込むことが多かった2023年でした。

だからこその最近の流れもあるよね、と、どちらにせよ、流れの中に全てのものはありますね。