A miracle in an ordinary life.

ヨガを生きる。

ヨガの旅。エゴとの共存からの自己開示

 

2018年の春。

ヨガインストラクターになった。

ヨガを勉強しながら、インストラクターを続け、そして同時に母親でもあった頃の話。

 

 

 

 

私は一児の母。

子どもの同級生には一人っ子の子が少なくて、少し肩身の狭い思いをしていた(なんで)

様々なことが重なり、ヨガと出会った。

今思えば、あの頃、人生の岐路だったのだと思う。

インストラクターにまでなって、

私の心は、ドキドキとワクワクと、

そして不安もよぎりながらも、子育てを続ける日常を過ごしていた。

 

ヨガを通して学んだことはとても多く、これまでの自分の生き方全てを変化させるほどだった。

ヨガインストラクターにまでなってしまったのだから、まぁそういうこと。

 

ところで、お母さんをやっていると、同級生のお母さんとも話す機会が多くなる。

お母さんで、子どもが同じクラス、同じ学年などの共通点はあるものの、

それ以外のストーリーは共有していない人たちだ。

 

ヨガと出会って、大きく進路変更した私は、

出会った体験や感じたことを伝えたくなった。

今まで見たこともない世界を知ることができるようになるよ、と。

自分の内側を見つめると世界が広がるよ、と。

でもそことを伝えるのはとても難しいことも理解していたので、控えめでもいた。

そしてそういうことは、知りたい人ばかりじゃない、と何故か思っていて。

 

子育てという地に足をつけた「現実」世界では、ノイズになる気もした。

(つまりは自分自身が、そうだった)

 

それなのに、そこに気が付かない人や知ろうとしない人を

内心バカにし始めた私がいた。

 

エゴの芽生え。

 

いっ時はきれいさっぱりと消えて無くなったかのように思えたエゴが、再び湧き上がり始めた。

その傲慢さをずっと飼い慣らせないまま日々は続き、

その傲慢さに、ついに自分自身が喰われてしまい、また苦しい思いをする日々が始まり。

 

何をやっているんだろう???

 

そう自問自答しながら日常を送り、ヨガインストラクターとしての必要な態度ができなかったり、更にそのことにさえ気が付かなかったり。

 

自分の優位性を確認するためのヨガの学びに

いつの間にかすり替わっていた。

 

どれほど、私自身を大切にできてこなかったのか

そして心の声を聴いてこなかったのか

 

私を見て、私の話を聴いて、の声をナチュラルに無視してきたこと

 

 

ブログを通した自己開示をしながらの自己受容の日々は続きます。

(もちろん、お母さん仕事もね)